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by 鈴木 芳雄
2001年4月18日記
ガパリ‐ビーチ2
ガパリ‐.ビーチは英国時代に開発された海浜リゾートで知名度は抜群です。しかしヤンゴンからは山を越えたベンガル湾沿いに位置しているためか、行ったことがあると言う人にはなかなかお目にかかれないのが実情です。飛行機ならヤンゴン空港を飛び立って1時間もすれば海浜のホテルに着くという好立地にありますが、車やバスとなると悪路を一昼夜かけ走らないようです。この地を利用するのは一部の富裕層だけのようですが、彼等とて空路一飛びとはいかないようです。
この旅行を通じて垣間見たミャンマーの一面を以下に記します。そもそも海水浴という遊びがミャンマーには定着していないうようです。したがって水着というものを着ていません。若い男性は黒い半ズボンのようなものをはいていますが海水パンツとはいえないものです。若い女性はといえば、黒っぽい長ズボンに上は普通のシャツを着用しています。中年以上の男女は普通見かけるロンジー姿のまま水に入っています。例外的に水着らしいものを着ている女性に会いましたが彼等は人々からかなり離れたところで首だけを出している感じで水につかっていて全体像を見せません。
同じ浜辺に居合わせる米国人がビキニ.スタイルで闊歩しているのと好対照の光景にいさか戸惑いました。またミャンマー人は朝9時頃と夕方の4時以降の2回、一斉に水に入っているのも印象的でした。
地元の日帰り客など皆無いで海浜にいるのはホテル泊の人達だけですから、その人数たるや知れたものです。湘南海岸の人出、ワイキキの賑わいからは想像も出来ない静かさです。海浜に点在するホテルの前にしつらえられた傘状の日影設備とその全面の海に人影があるだけです。
ミャンマー人の海水浴に対する関心の度合いは日本でいえば大正時代に相当するのかも知れません。私の経験した昭和10年代の鎌倉.逗子は現在の状況と比べればその規模こそ小さかったものの立派な海水浴場でした。
このガパリ‐ビーチは日本語の案内書には載っていないので日本人は来てないと思っていました。私宿泊下ホテルも大半が米国人、一部がミャンマー人でしたがその中に日本人が3人いたのです。彼らは観光客ではなくこの地で事業をしているビジネスマンたちでした。鰯のような小型の魚を買い入れ、ボイル.粉砕して肥料.飼料として他国へ輸出する計画とのことでした。小さいながら自前の工場も持ち意気盛んでした。彼等に案内されて地元で操業中の政府系企業の海老養殖場を見学する機会を得たのはラッキーでした。表面的にはなにも見えない静かなリゾート他にもしたたかな商魂が息づいていることを知り驚きました。その中にあって日本人ここに在りとばかりいろいろな可能性を探ろうとする真摯な姿勢には頭が下がりました。
宿泊中にもう1人の日本人とあいました。こちらの方は30歳代の女性でふらりと現れたと言う感じの人でした。色々なところに行って、いろいろな経験をしたいという願望だけで行動しているようでしたが計画など全く無く飛行場に着いて問い合わせたらこのホテルを紹介されたと言う説明でした。しかも外国語はまるで駄目というのですからまさに空挙で旅行しているといっても過言では無い状態でした。1泊しただけで海にも入らず、翌日の午前中には、誰かに会うとかで外国人が誰も乗らない路線バスで立ち去っていきました。こんな出会いも旅の面白い経験と言えるのでしょうか…。
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