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by 鈴木 芳雄
2000年11月4日記
どぶ
ヤンゴンに住んでいる時はあまり目につきませんでしたが、マンダレーに来てどぶが沢山あるのに驚きました.メインの道路はきちんと舗装されていて側溝にはコンクリートで蓋がされていますが、裏へ廻るとどぶだらけです.どぶの幅は大小様々あり、家々はの出入り口にはどぶ板が渡されています.激しい雨の後はどぶが溢れ、さながら水溜まりに家が浮かんでいるような様相を呈すこともあります.
アヒルを飼っている家も多いようで、どぶの淵をよちよち歩きしているのをよく見かけます.また幼い子供を抱えて用をたさせている場面に会うこともあります。いずれにしても朝の洗面に始まり、水浴びや家事という生活排水の受け皿としてのどぶの役割は大きいようです。
どぶという言葉は漢字で書けば溝です。道路脇の側溝は昔から都市機能の重要な位置を占め、その改善には多くのエネルギーが費やされてきました。私の幼い頃、東京下町にも一歩裏通りに入るとどぶが沢山ありました。どぶにまつわる言葉も、どぶ板、どぶさらい、どぶネズミなど多数ありましたがあまりきれいなイメージはありませんでした。今でも選挙用語のなかに、どぶ板候補、どぶ板選挙などという言葉があるのは、どの当時の名残りで面白いですね。
ミャンマー人はマンダレーには僧侶、軍人、中国人が多いとよく言いますが、口の悪い人はそれにもう一つ蚊が多いと付け加えます。来て見て、どぶの存在と無縁ではないことがよく分かりました。
マンダレー大学のキャンパスは広大で、道路脇には樹木も多くその下には文字通り下草が生えていて、その先にどぶがあります。この下草を対象に実に精力的に草刈りをしているのには驚かされます。炎天下、大勢の男女がこの作業に従事しています。刈り取った草はそこに集められ、適当にからした上で燃やします。当初は景観を大事にしての事と皮相な見方しかできませんでしたが、ここにも薮蚊の駆除という観点があることに気づきました。日本の都市も戦後50年を費やして、ようやく下水が整備され、どぶとおさらばしたようですが、ミャンマーはこれからといったところでしょう。
どぶのついでにトイレに触れますが、トイレの処理はかつての日本のように農業との関連における汲み取り方式は採用されていません。戦後ずっと、庶民は共同トイレの使用を余儀なくされていたようですが現在では各戸に備えられています。各家の敷地にはそんなに広いわけではありませんが、トイレは独立していて、4〜5年おきにその位置を変えるという方式がとられています。この辺りが実に興味ある現象といえるでしょう。富裕階層やビルの場合、トイレの位置は当然屋内に固定されているので、市の清掃局のようなところが要請に応じて回収しているようです。
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