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by 木村 健一
レストランを開いて1年がたとうとしている。連日よく客が入っている。金は出すが営業にタッチしない、まぁ食事代がただになったくらいで私の生活自体は変わらない(本業は留学生なんだ)。従業員は若い、良く働く、まじめ、ほとんどがマネージャーを勤めるターリントンの村、もしくはその周辺の村出身のいわば田舎者の集まりで、16歳から25歳くらいの若者ばかりである。
昨年の10月雨季の終わりのダディンジュ祭りの時、オープン1ヶ月しかたってないのに、店を4日間休んでミャンマー人が一生に一度は行きたいと言うチャイテーヨー(別名ゴールデェンロックパゴダ)に、前の年に連れていった2,3人を留守番として残し、総勢15名で1泊2日の旅に出発した。半分くらいが日本で言う高校生くらいの年である。もっとメチャクチャな旅になるのではと心配してたが、杞憂に終わった。私自身は4度目のチャイテーヨーである。以前の旅では30ドル(ミャンマー的には大金)も払ってホテルに泊まっていたが、今回はミャンマー人と一緒に夜食事して、そこの2階に泊まった。雑魚寝である。なんだか遠い昔の修学旅行を思い出したりして、結構疲れていたので、ぐっすり休めた。
物語はそこの宿泊できる食堂から始まった。
うちのレストランには3人のコックがいる。その中のNO2のコックと後3,4人のうちの若者がモーラミャインから来たという女性3名と朝食の時間に親しくなった。これも修学旅行の学生よろしく、住所交換などやっている。それから一緒に写真撮ったりして、それはそれで楽しい旅の思い出になるだろうくらいにしか考えてなかった。
ところが1週間後に、そのうちの1人の女性がモウラミャインからNO2に会いに来たのだ。NO2は、まぁハンサムだけど何かいつも暗い感じの奴で、何故彼だけ女性にもてるのか不思議なんだけど、それ以後もほとんど毎日モーラミャインから長距離電話がかかってくるようになった。そしてとうとう半年後のダジャン(ミャンマー正月、水祭り)の時に、モウラミャインから押しかけ女房とでも言おうかNO2と結婚すると言って出てきてしまった。女性が27歳、NO2はまだ21歳である。南ダゴンに住む女性の姉の所にNO2を連れていったら交際を反対されたらしく、ダジャン祭りが終わっても2人がどこでどうなってるのか解らずじまいだった。
それで辞めてどっかに行っても、NO1のコックが非常に優秀なのでそれでいいやなんて思ってるところへ、今度はNO1の母親が亡くなったという悲報がはいった。彼は葬式のために田舎に帰らねばならなくなり、とてもではないが経験の浅いNO3のコック1人じゃとても営業できない。そこで、マネージャーがいろいろ探して、駆け落ち状態の2人を探し出した。3日位店を無断で休んだことも何も言わず、とにかくコックがいないと店は開けられないので、店に隣接している寮の4分の1くらいを竹の壁で区切ってそこで「しばらくの間」、NO2と女性は籍だけ入れて暮らし始めた。
しかし、ほとんどが高校生くらいの若者がいる寮で、竹の壁1枚で夫婦者が住むというのも、どちらにとってもあまり好ましいことではない。また、黙ってるとこの女性は私にも全く挨拶もしないし、働くわけでもなし、、、、とうとう1ヶ月がたってしまった。NO1のコックもとっくに戻っているので、結婚に反対はしないけど寮には住まないでほしいと、思いきって言った。
そこでやっと彼らは次の行動をとりだした。2人してマグエまででかけて、NO2の長兄を連れてきて(NO2はすでに両親がいない)もう1人保証人になる人と4人でモウラミャインの女性の家族(父親はいない、母親と7人兄弟、大きな喫茶店を経営とか)に結婚の承諾を取りに出かけた。一応向こうの家族の承諾も取り付けて、正式にお坊さんもお呼びして結婚式もつつがなく終えて、NO2だけ戻ってきた。アパート代がたまるまで女性はモーラミャインで待つと聞きいた。しかし、NO2は両親が早くに亡くなり、下の兄弟のための借金、加えて結婚のためにも私からかなり借金してるので1年くらいは返済だけにかかる。それから金をためたとしても、ヤンゴンは居住費がべらぼうに高い。
私は、2年前にマンションの部屋を2部屋購入して、上の部屋を日本人の友人に貸していたのだが、急に引っ越していきなり部屋が空いた。洗濯機、テーブル、食器棚、ベット等もあるし、かなり広いので1部屋だけなら使ってもいいとNO2に言うと、8月からと言ったのに、7月の25日頃にはもう妻になった女性がモウラミャインから出て来た。しかし、これから夫婦で生活するというのに何も持ってきていない。私は部屋を貸すと言っただけで、全部面倒を見ると言った覚えはない。でも、布団もなければ眠ることもできないだろうから、布団、枕、毛布、皿などの食器、スプーン、扇風機、洗剤、石鹸など生活できる用品をそろえてあげた。しかし、ミャンマー人の常で、この女性一言の「ありがとう」もなかった。
それでマネージャーや名義上店のオーナーのおっさんからも、しかられた。ミャンマー人に部屋を貸すというのは、すべて面倒見ると言う意味なのだと。どうして貸すと言ったのかと。今は従業員も増えて、他に19人の独身男性がいる。1,2人ならこれくらいの面倒をみることはできても、やはり全員となると無理なので、他の人からも今回のやり方はまずかったと言われた。しかし、その時に私がNO2に質問したのは、結婚するにあたってお金が全くないということが、、、彼が無一文と言うことは承知してましたが、相手の女性のほうは親兄弟が認めて、自分で大きな喫茶店と言っていたのに、枕買うお金もないのかと、、、じゃどうしてお金もないのに所帯持ったのか?なんて言ってみてもどうにもならないことを愚痴みたいに言っていた。そんなときに、それはまるで天から降ってきたように、なんとこの何時も暗くて運のなさそうなNO2が、いきなり宝くじに当たったのだ。宝くじには1等3000万ksなんてすごいのもあるが、彼が当たったのは43万ksそれでも彼の年収の3倍近い金額だ。それで私から借りてる借金は即返してくれた。そして他のみんなも、彼は宝くじの賞金でいろいろな所帯道具買ったと思ったみたいだ。やはりこのように宝くじにでも当たらない限り、ヤンゴンに田舎から出て来た若者が、ちゃんとしたアパート借りて生活できないのが現状だ。
その後、この女性は外国人と話したことがないので、私に挨拶もしなかったと解った。とにかく田舎の人だが、姉妹がすでに結婚しているのであせりもあったのかもしらない。でも、チャイテーヨーで一目ぼれして、その恋を成就させたわけだからすごいものだ。そして料理が大変上手なことも解り、毎朝彼女の手料理から私の生活もスタートしている。典型的かどうかは解らないが、私に最も近いある夫婦の物語でした。
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