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37のナッ神Thirty-Seven Nats

著作 ラタメイン

インドラ神は他の神達の指導者として一番前のところに位置します。他の神々と違 い平穏無事に暮らしています。インドラ神以外の神々は幽霊といわれています。イ ンドラを3つの頭を持つ象の上に立ち、右手にホラ貝、左手にヤク、そしてインド ラ神の服装を着た形で作って信仰しています。

有名な鍛冶屋 ティンダウ の息子であり、名前は ティンデ と呼ばれています。彼は巨大な力を持ち、象の牙も折れるいう話でタガウン王は自分の王位を奪われるかもしれないと恐れました。それを知ったティンデは逃げ出しました。しかし、王はティンデの妹を王妃として人質にし、ティンデを呼び出しました。ティンデは捕らえられ生きたまま火あぶりの刑にされ殺されました。人々は家を守るナッとして信仰しています。このナッは白象の上に鬼の雌が座った形を土台にしてその上に立つ形で作っています。右手にうちわ、左手に刀を持ち皇弟の衣服を着て作ってあります。耳飾り、肩掛けもあります。

ティンデの妹でソウメヤと呼ばれます。ダガウン王から王妃にされました。弟が火あぶりの刑で殺されるのを見てショックを受け火の中へ身を投げ出し顔が焼け死にナッになりました。シュエニャッ神はを鬼が座った形の黒い象の上に立たせて、右手は胸を支える形で人差し指と親指の間にアンマロウの実をかさんでいる形で作ることがあります。

シュエナベイはミントン村に住んでいて竜と結婚しその後、その夫に捨てられ苦悩死しナッとなりました。ある言い伝えではティンデの奥さんとも言われています。このナッは竜の形ある帽子をかぶり右手を胸の上におき、左手を体の横に下げた形で作っています。

トンバンラはタクンニャン村で住んでいるモン族の女性で一日3回美しさが変わると言われている。彼女はデュダバウン王に捧げられたが、他の王妃達にいじめられ、体が大きすぎて宮殿の門に入れないなどと王に告げ口されました。それを信じた王は彼女を王妃にせず、そのショックで彼女は死にナッになったと言われている。このナッは象の上に鬼の雌が座った土台に立っている形で作られています。右手は胸が支え左手を体の横に下げた形で作っています。

シンミネはトンバンラの娘です。二歳の時タペダウンイ村で母のトンバンラが死んだとき、そのショックで苦悩死しナッになった。シュエミネはハスの花のある土台に両手をぶら下げている形で帽子、帯、ロンジーといくつかの首飾りで子供の形を作って信仰します。

この二人のナッはティンデとシュエナベイの息子です。デュタバウン王(ピー)は彼の王位を脅かす存在であったため、策略でこの二人同士をレスリングで戦わせ、その結果二人とも死にその後ナッになったと言われる。このナッは手が6つずつあり紺の服を着ています。

パガンのアノヤタ王の父、カウンビュ王時代の時、カウンビュ王はポパソウラハン王の妃を王妃にしました。その中の南宮王妃の養子は王につけず無理にお坊さんにさせられました。そのショックでナッになったと言われています。あぐらをかく形で僧衣を着修行者の帽子をかぶって右手にうちわを持っている形で作っています。

カウンビュ王の母で病死しナッになった。膝を曲げ片手をももの上に置く形で作っています。

彼はカウンビュ王を退位させた人物で、狩猟のため森に出かけた時、他の猟師に水を飲んでる鹿と間違われ、矢にうたれ死にナッになりました。あぐらをかき、冠をかぶり、肩に弓をおいてる形で作って信仰します。

この二人は雌の鬼の息子でアナウナ王に仕えています。王は国境から帰る途中タウンビョンという地でパゴダを建てるのを命令しました。しかしながら、王は完成したパゴダには手抜かりがあると言いこの二人を死刑に処しナッとなりました。その兄弟のナッはイスの上に座り片膝立てて座っています。

あるバラモンの息子でシュエピンジー、シュエピンガレイとの守衛で、この二人同様、タウンビョンパゴダの建設ミスのためアナラタ王に処刑されナッになりました。このナッは土台の上に立ったまま刀を肩の上におく形を作っています。

マンダレーボーダウの妹。シュエピンジー、シュエピンガレイが処罰されるとき、隠し事をしていたことを理由に王に処刑されナッになりました。このナッはまげもあってよろめきながら歩く形で作られています。

彼はタトン市のマウハ王の子孫です。ハンセン病で死んでナッになったといわれています。台所を守るナッとして信仰しています。土台の上で左手を上げ右手はつえを持ち、まげもありその形で作られています。

パガン時代アノラタ王の三番目の王位継承者アラウンシトゥ王で、自分の息子に殺されナッになったと言われています。このナッは王座に片膝をたて座り王の服装をきています。

アラウンシトゥ王の孫でミンシンソウの息子です。父親から放棄されました。幼少の頃ブランコから落ち死にナッになったと言われています。このナッは王座の上で竪琴を持ち帽子をかぶり、飾り帯をしています。

ウ・ミンチョウという名で有名。ある記録ではピー領主とクニデビの息子と言われている。いつも酒を飲み闘鶏を楽しんでいました。馬のりが得意でもありました。殺された人のお化けに殺されナッになったと言われています。このナッは馬乗りのまま片手は鞭を持っています。

パガン時代、ナラパティシトゥ王の騎馬部隊の騎士であるボアウンズワと言われている。戦争に勝てば側女をあげるという王との約束があったがその約束を破り、これが原因で殺されたと言われている。このナッは馬に乗ったまま右手に刀、左手ははみをつかんだ形で作られている。

パガン時代のソウモンニッ王の息子で、戦場には出ていかず身を隠していたため、王は罰として下半身を土地に埋め処刑した。そしてナッになったと言われている。このナッは王座に片膝を立て耳飾りがあります。

シュエシッティン ナッ の母親。息子が殺されたのを知って苦悩死しナッになったと言われている。このナッは土台で片手を胸で支え他の手をももの上におく形を作っています。

白象を持っているティンカトゥ王の息子です。父が死んだ後キョウスワとして王宮を授かり5頭の白い象も同時に授かった。8年間即位した後発熱して死にナッになったといわれる。このナッはハスの花の上にたつ象の上に座っている形で作られており、象は頭が5つあり4つの傘もささせています。

あるアヴァ王で狩りをするとき森の中の女神出会い楽しんだ後、その女神が急死しその女神に恋いしてたので狂人になった。その時、従者のガナウンサンに殺されナッになったとされる。このナッは王座に王の衣服を着て片手はうちわを持ちもう一方の手はひざの上においてる形を作っています。

アヴァ(インワ)王、ミンガウン王の時代茶の商人でした。シャン州へ行く途中虎に噛まれて死んでナッになったと言われる。このナッは虎に乗って左手に鞭を持ち右手をももの上に支えて作っています。

彼女はインワのミンガウンの王妃でシャン領主トガンブワの娘でミンイエチョウズワの母親です。綿畑を巡回中息子であるミンイエチョウズワは魔法の馬を乗ってくるのを見て驚いてショック死したと言われている。このナッはハスの花の土台に座って子を哺乳してまげがあります。

インワ王、ミンガウンの息子です。アウンピンレという地で戦争している時、オンバウン領主から放たれた矢に当たって死んだと言われています。このナッは象の前でぶら下げて、もう一人は象の後ろで刀を持っている形を作っています。

ティハトゥ王の側女で王と一緒に戦場に出て王宮へ帰る時死んだと言われる。このナッは腰をかがめて歩いく形で作られています。

インワ時代のミンガウン王の孫で、従者が王を暗殺しその場で処刑され、シュエナウヤタもこれに関与したと思われ処刑され、ナッになったと言われる。このナッは王座の上に片膝を立てて手にはポローシを持ってる形で作られています。

インワ、ターサン王の娘でシュエシントゥ王女の夫です。王女の母親はモネ領主でアヘンの吸いすぎで死んだと言われています。このナッは土台の上に琴をだく形で作っています。

インワ王の息子で酒の飲み過ぎで死んだとされる。このナッは土台の上に座った形で作っています。

インワ王に住んでいる小僧でヘビに噛まれて死んだと言われています。このナッは帽子、袈裟をまとって左手にうちわ、右手に数珠を持つ形で作っています。。

タウングー王、タレインシュエティで、酒を飲み酔ってる時、従者に暗殺されナッになったと言われています。このナッは四角の王座の上に王の衣服を着て右手に刀を持ち左手は膝の上に支えている形で作っています。

タキンシュエティ王の子供の時の乳母でした。ミャウカドゥ村出身で自分の子供を生む最中に死にナッになったと言われています。このナッは土台の上にハスの花、その上に立っています。左手は胸を支え右手は膝の上においている形を作っています。

タウングー領主で役人であるミンイエテインカトゥの息子です。このナッは王座の上に王の衣服を着座っている形を作り、左手にはうちわ、右手は膝の上においている形で作っています。

タウングー王、ミンガウンの儀典官のイエタヤで、森に入って花を探している時、マラリアで死んでナッになりました。このナッはハスの花のある土台に座り右手にうちわを持ち左手を膝の上においている形を作っています。

チャウンマイ王に捕虜として捕らえられその際、ひどい下痢により死んだと言われています。かた膝を立てて土台に座っている形で片手で棒を持ちもう一方の手は膝の上においている形で作られています。

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