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  • 7年前、単身ミャンマーへ渡り、以来現地に身を置き激動の時代を生き抜く。企業・政府・マスコミ等との長年に渡るビジネスを通して培ったスキルや現地・日本の人脈をフルに活かした調査・進出コンサルティングは在ミャンマー日本人の中でも随一である。 Since 2001/1/1
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ヤンゴンプレス3号連載記事 第2回


ヤンゴンプレス3号連載記事 第2回

By 西垣 充


    ミャンマーへきて旅行会社でヤンゴン駐在員として働いていましたが、アジア通貨危機の影響を受け、1998年に日本への帰国命令が出ました。この2年間で「ミャンマーのためにがんばらなければ」という気持ちは益々強くなっていましたので、帰国を拒否しヤンゴンに残りました。2年間働きながら自分なりにミャンマーでどのように貢献すべきか考えてきました。

    NGOという方法もありました。しかし、学校があっても小学校すら卒業できない人が多いこの国で、今やるべきことは学校建設なのか?医者が足りない中で病院を建てることが早急にやるべきなのか?こういったことをやる人はいくらでも出てくるので、私は自ら生活するお金を稼ぎながらミャンマーの人々のためになる事業をしようと決意しました。

    自分が家を借りる時苦労したので、賃貸住宅ニュースのような情報誌があれば、皆にとってよいのではと考え、まずは情報誌を作ることにしました。

    ミャンマーにおいて雑誌に広告を取ってくるという発想はこれまでなく、従って広告を取るための営業という仕事も存在していませんでした。そこで私は広告で雑誌を出版しようと思い、営業を10名程雇い始めました。思った通り、無名雑誌にも関わらず広告はある程度取ることができました。もちろん他社もうちの動きを見て、次々と広告を取る動きを始めました。現在では出版会社が広告を取る営業部署を作るというのは当たり前のことになっています。

    こうなれば私の雑誌に住宅情報を掲載する意味はありません。その為、住宅情報はやめ、ビジネス誌に切り替えましたが、結局、検閲には勝てなかったうえに、利益度外視に行う出版社が数多くある事実に直面し、出版事業から私は手を引きました

     他にもテレビからの情報が少ないのは一つの障害だと考え日本のテレビ番組を放送しようとしたことがありますが、あえなく失敗しました。この時に、ローカル企業相手に日本人が勝負しても、日本の優位性は生かせないと学びました。

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10年以上事務所にしていたニャウンインレイ市場(2005年頃)

    この2年間で多くのお金を費やしてしまい、またこの間結婚もしましたので、早急にきちんと生計を立てていく必要が生じました。

    政府の影響をあまり受けない事業がミャンマーではもっとも安定する事業だと気づき、また日本人としてのメリットが出せるのが旅行会社と一つの結論を出しました。そしてSanayTravel&toursを立ち上げたのです。また、ブログなどを通してミャンマーの本当の姿を世界に発信していったのです。

    当時のミャンマーのイメージは酷いものでした。北朝鮮とイラクを混ぜたような最悪の印象しかなく、ミャンマーへ行くと言ったら「なんでそんな所へいくんだ!」と何度言われたか分かりません。実際、ミャンマーでは道に銃を持った兵隊がいたことにはいたんですが、それ以外は今のミャンマーと変わりなく治安も良かったのです。そんなミャンマーの本来の姿をブログで発信していた日本人なんて私ぐらいだったものですから、コアな方々によって支えられ少しずつ取材コーディネートの依頼なども少しずつ舞い込んでくるようになりました。

    しかし生活は安定しなかったので、ホテルでマネージャーとして働いたこともありました。その後も大手商社から現地採用の打診を受けたこともありました。家族を養わなければという気持ちもあり、正直転職に気持ちが傾いていたのです。しかしそんな時、「お金を稼ぐためにミャンマーへ来たんじゃないでしょう」という妻の一言。お金に困って本来の目的を見失いかけている自分に気づかされた瞬間でした。

    自分の事業に集中すると決めたはいいものの、お金が残り1000ドル以下になるまで追い込まれ、もう撤退だと思ったことも何度もありました。しかし、そんなタイミングでは決まって仕事が舞い込んできたのです。自分は本当に運がいいのだと思います。何故そんなに運がいいのか。何故私が今もミャンマーで生活できているか。それは私が果たすべき役割があるからだろうと思うようにしています。経営の才覚というより、生かせてもらってきたといった方が正確な表現です。

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旧事務所内


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浴衣を着た事務所のスタッフ

    こうして運に助けられつつも、苦しい時期はしばらく続いたのです。社内においては、日本では起こりえないようなミスも日常茶飯事で、ついつい社員を強く叱ってしまうということもしばしば。言うまでもなく、人の出入りも激しかったです。そうした経験の中で、ミャンマーでビジネスをするためにはミャンマーの人々と対等に接することが肝心だと学びました。何をいまさら分かり切ったことを、と思われるかもしれませんが、これができている日本人は本当に少ないのです。

    そして、ようやく2005年頃から、番組制作会社からの依頼が定期的に入り始めました。ミャンマーに10年以上住んだことで蓄積した膨大な人脈と知識を駆使し、単なる手配業務ではなく、番組をより充実したものに導けるよう、サーチや企画立案まで行うことで信頼を勝ち得ていったのです。

    2010年からはビジネスを多角化し、コンサルティング会社を設立しました。旅行会社と内容はほとんど同じですので、必然的に設立に至ったわけです。そうしていく中で、新しい事業を始めてもそれに対応できる人材がいないと分かりました。それ以前には、私自身は人材会社なんてするつもりは全くなく、「人材派遣なんて人身売買だ!」と言うほどでした。しかし、ミャンマーに自分が求めるような人材会社がなかったので、じゃあ自分で作ってしまおうということで人材会社を設立したのです。

    日本語学校に関しても同じ経緯で設立に至りました。日本への人材派遣のために、他の日本語学校へ授業を委託していたのですが、どう考えても活きていない日本語をありえないくらい遅いスピードで教えていたのです。さすがに限界を感じ、どうせなら自分でやってしまおうとやりはじめたのです。

    この10年間の間に様々な事業を展開してきました。どの事業にもいえることですが、無知だったからこそ踏み出せた部分が大きいです。ある程度その業界を知ってしまうと何がスタンダードなのかが身についてしまい、発想にオリジナリティが無くなります。私の場合は、多くの業界を広く浅く見てきました。その中からいいアイデアを組み合わせて今までにない斬新な事業を展開したからこそ、今があるのだと思います。(続く)

(C) 西垣 充